|
|
8月に2つのビックイベントがある。
一つは十勝24時間耐久レースに出場すること、もう一つが、実は・・・・・私の娘に子供が生まれる。(つまり、私に孫が出来るのだ)ひょっとしたら、私が十勝でレースを走っているときに生まれるかもしれない。
北陸に嫁いでいる娘に会った時、私は娘に言った。
私「娘よ。我が娘よ。万が一、私がレースで命を落とすような事があって、私が死んだすぐあとに、お腹の子供が産まれたら、それは「私の生まれ変わりだ。だから、その時は、名前に「好」か「通」を一文字入れなければならない」と言ったら。
娘「そりゃ出来んよ。だってもう名前決まってるもん。だんな様がもう決めちゃったモンね〜」
私「"万が一"って言っとるだろ。"万が一"って。"万が一"なんだから、"そうね"って言っとけばイイじゃん。どうせ、"万が一"があったら、その時は俺もう死んどるンだから。今だけでも"そうね"って言っとけば別にイイじゃん。」
娘「ハハハハッ、ダメダメ、子供の名前はだんな様がつけるって決めてんだから。万が一でもダメなの。ハハハハハッ。」
…可愛くない奴である。
私は、この娘の亭主に限りない感謝をしている。こんな娘をもらってくれて、なんと、幸せにまでしてくれている。おまけに子供を授かって、もう、これ以上のことはない。「ありがとう」よりもっと大きな気持ちを表す言葉が思い浮かばず、かえって何も言えなかった。
何年か前の大きな手術の事がウソのような、幸福を待つだけの二人であった。
そして、8月に入ってまもなく、娘は元気な男の子を産んだ。つまり孫が生まれ、私はジジイになった。 |
8月にオープンした上海の車聖快洗隊の立ち上げ訓練約1ヶ月上海に行きを担当した中根大(現・安城店Mg)から、熱いレポートが届いていました。
車聖快洗隊研修レポート(中根大)
はじめは日本と同じ、声出しから研修です。「大きな声で元気良く」なんて事は日本では当たり前のように見かけますが、上海では非日常のことです。全員が戸惑い、恥ずかしがり、声が出ません。一人、又一人と声が出る様になって行くうちに全員の声が揃って出るようになりました。
想像していたよりも言葉の壁があり、僕の考えの甘さを痛感しました。説明は、李さんに訳してもらう他に漢字とアルファベット、そして絵混じりの文章(メモ?)で進めていく形になりました。これが一番解り易いようで、一日の研修が終わると「そのメモを下さい」と、僕のノートを千切って持っていき、皆で書き写しているようでした。
特に研修がアラカルトの作業に入っていくと、その効果に驚きを隠せないようで、その事がさらに知識に対する欲求を掻き立てたようです。みな絶えずノートとペン、マニュアルを持ち歩いており、僕の説明を事細かくメモおり、一度説明した事柄を二度説明しなくても良いのは助かりました。
一度日本に帰り、再び上海に到着後、早速第1クールの仕上がり具合を確認すると、全員が手洗い洗車を17分台で仕上げるレベルです。第1クールの内容は大丈夫な様でした。
第2クールの前半は実践です。
頼さんの協力を得てお客様の車を触らせてもらい、技術を実践で役立つものに昇華して行きます。理解は難しいと思っていたのですが、「お客さんの笑顔は、嬉しい」と、頑張りを見せ、頼さんのお店のスタッフと一緒になって走り回っていました。
しかしこの頃から、チームとして機能するようになり、役割も分担していきました。そのころやっと車聖快洗隊が完成しました。
これからポリッシャーを使っての磨きの研修です。全員、初めての道具(ポリッシャー)で、不慣れな手つきで車を磨きます。もうチームワークは出来上がっていますので、皆で指摘し合い練習に励んでいました。
ハードシールド、アクアキーパー迄すべての作業の研修を終え、接客の練習です。この段階で、仮オープンの日が迫っており全員の緊張も増しています。接客は全て、北京語、丁寧語で行います。これが、思いの外難しかったようでした。
ロールプレイング形式で接客のテストを行うと、皆、言葉に詰まります。日ごろ慣れ無い北京語に悪戦苦闘です。孔、蒙の研修が終わる前に帰国の日が来てしまったことが残念でした。が、再度上海を訪れると、この3人は見違えるような動きに変わっており、その日に行ったタイムトライアルで3人とも合格!
聞けば、羅が凄く厳しい特訓をしたようで、羅も、この3人もずっと休みなしです。ここで全員が肩を並べることができました。次の日が仮オープンなので、ぎりぎり間に合わせることができました。
オープンセレモニー前に上海入りしてみると、驚いた事にマニュアルが少し変わっていました。洗い流し時にしゃがんで下の方までしっかり流しているのです。皆で相談して、「この方が綺麗になるから」と、変更したそうです。
スタッフのモチベーションは日本の私たちと同じです。
|
|