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11月9日いよいよ最終戦
2003年、スーパー耐久参戦の最終戦。場所は栃木県の「もてぎツインリンクサーキット」
我がチームの番17番インテグラは、「Nプラスクラス」。そのクラスは、6台と出走台数は少ないが、ワークスチーム、あるいはそれに順ずるチームばかりの競合が揃っている。
5ZIGENのアコード、15番。トムススピリッツのマジョーラアルテッツァ、36番と37番。オートバックスのアルテッツァ、55番。アドバンインテグラの54番。
土曜日の予選は、我が17番インテグラは、6台中、6位。またもやどん尻である。しかし、タイム差は無いに等しい。十分に上位はもちろん、あわよくば表彰台を狙える位置にいた。期待できるタイムだ。
あっという間に決勝の12時。石川選手がヘルメットをかぶり、車に乗り込む。文字では表現できない、鋭角的なエキゾーストノートを残して、コースに出ていく。4時間にわたる長いレースが始まるのだ。
決勝スタート、そして2位!?
ローリングスタート。ペースカーに先導されて、まず、ゆっくりと一周。その間に、各車はステアリングを大きく左右に振って、出来るだけタイヤを暖めようとする。
コースコンディションは「ウェット!」しかし、雨は霧雨状態。
先頭の車、ポールポジションのGT-Rの加速に合わせてスタート!ごちゃごちゃに長い列になって1コーナーに突っ込んでいく。スタート直後のデッドヒートは、耐久もスプリントも変わりない。エキサイティングである。
我が17番も、予選ポジション通りの位置でスタートした。
まず6位。しかし、Nプラスの他車との差はほとんどない。特に、54番アドバンインテグラには、プッシュプッシュ。
2・3周目に抜き去り5位に浮上。5周目に今度は逆に抜き去られる。この時点でまた6位。
しかし、しかし、7周目にまた逆転。先頭集団でポルシェがスピンしたのだ。そのゴタゴタで5位に上がる。5位をゲット。しかも今度は、かなりの差がある。※この時点で5位!
その内に、トムススピリッツの36番マジョーラアルテッツァがピットイン。25周目ぐらいか。何かあったか?※とにかく、この時点で4位!そして、35周目。今度は、トムスのもう一台のアルテッツァ37番が、コース上から消えた。コースのどこかで、スピンしたのか。※なんと!この時点で3位!3位だ。
3位に上がった我が17番インテグラも、トップ2台と同じラップで、快調に走っている。タイムもいい。堂々の3位だ。
こうなってくると、セカンドドライバーの田中選手は落ち着かない。速さとラッキーが相まって、とうとう第3位を走っている17番インテグラ。「いや、参ったな〜。ムチャクチャ、プレッシャーじゃないですか。まいったなぁ〜」
まぶしそうに、堂々と3位を走る我が17番インテグラを眺める。
そうこうしている間に、四十数周目。17番の前を走っていた55番オートバックスアルテッツァがピットイン。給油とドライバー交代のための正常なピットイン。
私たちの17番が前に出る。これで、一瞬であれ、我が17番は、2位を走っていることになる。瞬間的ではあるが、S耐に参加して初めての2位での走行。※この時点で、2位なのだ。6位からスタートして、5位→4位→3位→2位。頭がボォ〜ッとしてくる。
ドライバーチェンジ
48周目。我がチーム、17番インテグラもピットインのタイミングだ。田中選手の準備もO.K.!
あれっ?ずいぶんゆっくり入ってきた。なんか変か?これはあとで石川選手から聞いてはじめて分かったのだが、実はこの時、インテグラは「ガス欠」していたのだ。
しかし、たまたま今回のピットはピットロードから一番近いところにあった。つまり一番端っこのピット。ピットロードの入り口からピットまでたった約50m。「惰性」で17番インテグラは転がってきたのだ。なんという幸運!
初めての勝てる状況の中でのピットワーク、緊張が動きを固くしているのか、それでも、すべての作業が「正確」に終了した。
再び17番インテグラがコースに飛び出していく。ピット内に安堵の空気が広がる。一つの大きなポイントを乗り越えた。
しかも、少し時間がかかったピットインで、2周遅れにしていた36番マジョーラアルテッツァが、不気味に後ろに迫ってきていた。
あと、48〜50周。先は長い。
どんなドラマが待っているのか。
緊迫のレース後半
48周目に予定通りのピットインを終え、コースに戻った17番インテグラは、田中選手によってドライビング、がんがん飛ばしている。
この時点で、17番インテグラは3位、しかし36番は17番にそんなには遅れていない、不気味に後ろから迫ってくる。
しかし36番は、何らかの理由で「25周目」にピットインしている。だから、もう一度ピットインして燃料を補給しなければゴールまで持たない。だから実質的にはかなりの差がある。が、36番はずいぶんペースが早くなっていて、我が17番にドンドン迫ってくるのは実に気持ちが悪い。
スタートから69周目。後ろの36番との差は39秒であった。しかし、1周3〜4秒ぐらいのペースで追い上げてくる。抜かれるのは時間の問題。そのあと数周目、17番のバックミラーに36番が見えてくる頃、田中選手が、最終コーナーで大きく膨らんだ。コースアウト。
しかし、車は止まってはいない。このコースアウトのタイムロスはたぶん10秒くらい。まもなくして、抜かれてしまった。これで4位。それでも、田中選手は36番にくっついていく。あとは、どの時点で36番がピットインして、そのピットインが、どれぐらい燃料補給、タイヤ交換に時間がかかるか、そのタイムがそのまま、17番と36番の差になるのだ。いずれにしても、その差しだいでは、17番が4位に転落、ゴールとなる可能性もある。
ライバルピットイン。しかし!
75周目!とうとう、36番マジョーラがピットに入ってきた。
どれぐらいの作業時間を要するか?腕時計をストップウォッチ代わりにタイムを計る。3分か、4分か。・・・・1分10秒で出て行った。
わずか70秒。一体なんだったんだ、あのピットインは。タイヤは換えたのか?燃料だけだったのか?それにしても、メチャクチャ早かった。私たちのピットインは4・5分かかったのだから、この70秒がいかに速いかわかるだろう。
少量の燃料補給を受けた36番マジョーラアルテッツァ。ゴールドライバーは「黒澤琢弥選手」らしい。私がレース大好き少年だった頃、かつての日産ワークス3羽ガラス「北野元」「高橋国光」「黒澤元治」その一人、黒澤元治は、日本の文句なしのトップドライバーであった。「黒澤琢弥」とは、その黒澤元治の息子さんである。バリバリのサラブレッド、その黒澤琢弥の乗った36番が、田中選手の乗る17番インテグラを追う。その差は、38秒。逃げ切れるか?
しかし、その頃、田中選手の乗っている17番インテグラは大変な状態であった。クラッチが切れない。パワステのポンプがおかしい。「ハブ」のベアリングがガタガタになっていて激しい振動に襲われる。ボロボロのインテグラは、ガクッとペースが落ち、1周4秒ものペースで36番黒澤琢弥選手に、差を詰められていく。なん周目かに、なすすべも無く抜かれてしまった。結局また4位。やっぱりだめか。
少しがっくりしながらもコースを眺めていたら、サーキット放送をイヤフォンで聞いていた誰かが「5番がつぶれた!」「トップを走っていた5番が、V字コーナーとか何とか言うところで、コースアウトして、タイヤが外れた。」と言ってる。声が出なかった。
また、3位に浮上したのだ。あと10周ぐらい。このまま完走すれば、3位入賞だ。このまま完走すれば・・。あとは祈るだけ。
感動! 3位!ゴール!
あと9周。しかし、メカニックの人たちは、誰一人ニコリともしない。普通の顔をして、いや、むしろ怖い顔をして、黙々となにやら片付けとかをしている。誰一人、あと何周で3位になれる。なんてことも言わない。黙々と、仕事をしている。きっとゴールまで98周ぐらいであろうレースの、やっと90周まで来た。それも3位キープという上々の出来で走っている。すでに90周以上を戦い抜いて、車はボロボロ。耐久レースの最後の数周は、必ずそうだ。ボロボロになるまで戦って、勝ち残って、ズタズタになってからが、本当の「耐久」。耐久レースとは「ここから」のことを言うのだろう。
17番は走り続けた。3位完走を狙うだけならば、計算をしてピットに何周か控え、最後にチェッカーを受ければ、途中でストップしてリタイアになる危険を避けることも出来るのだ。3位という記録を残す確率はずっと高くなる。しかし、それがなんだ!ジジイの小利口さなど、クソ食らえ。記録を残すためにレースをやってきたのか。そうではない。闘って、勝つこと。「走りきって」「勝つ事」それによって何を得られるのかは、自分の中の問題。自分自身の生き様の問題。たかが記録を残すために、ここまで来たのではなかろう。
走れ17番!
しばらくして「あと1周!」の声。よしっ!意を決して、ピットウォールに出て行く。ピットウォールにへばりついたとき、ちょうど、総合トップのポルシェがチェッカーフラッグを受けるところであった。さぁ、あとは、田中選手操る17番インテグラが最終コーナーに現れて、チェッカーフラッグを受ける番だ。
現れた!見慣れた青い炎の17番が、最終コーナーから姿を現した。ヘッドライトを煌々と点け、ピットウォールの私たちに突進してくるように脇をすり抜けた。
チェッカー!3位入賞!闘いきって、走りきって、初めての3位をつかんだ瞬間である。 |
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