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次回最終戦 第8戦 11月9日(日) ツインリンクもてぎ
 1991年、国内のツーリングカーレースとして、幅広い層が楽しめるレースとしてスタートした『N1耐久ラウンドシリーズ』。国際規格のグループNにJAFが国内版としてより厳しい規則を設けてはじまったN1ですが、96年に柔軟な規則変更が施されました。これによって誕生したのが『スーパーN1耐久シリーズ』です。さらに97年にはエアロパーツの導入も許可され、『スーパー耐久シリーズ』として世のレースファンを惹きつける連戦レースとなったわけです。
 出場チームはレギュレーションごとに5つのクラスに分かれています。つまり性能に差がある車を一挙に走らせるという醍醐味からも、『スーパー耐久シリーズ』がファンの指示を得ている大きな要因でありましょう。
スーパー耐久TI戦リポート

イメージ画像 9月7日、岡山の英田TIサーキットで、スーパー耐久シリーズ第6戦の決勝が行われた。チームとしての参戦は、鈴鹿、富士、MINEに続いて4戦目となる。




今回から、チームドライバーを代えた。Aドライバーは田中篤、Bドライバー石川朗、Cドライバーは山本信だ。




決勝当日、天候は晴れ。前日の予選で我がナンバー17インテグラはNプラスクラス出場7台中6位。最下位に近いポジションではあるが、クラストップとの差は1.5秒。十分に表彰台を狙える位置でありタイムであるのだ。
スタートドライバーはいつもの田中選手に代わって石川選手。田中選手、夏風邪のこじれでイマイチ体調が優れない。




イメージ画像決勝。快調にスタートした石川選手はアグレッシブなレースを繰り広げ、なんと4位にまであがり、52周目までクリアしたのちピットインした。すばやいピット作業を終えて2番手田中選手があわただしくピットを後にした。送り出したパドックでは一瞬、安堵の空気が流れたが、それもつかの間、1周回っただけで田中選手が再びピットに戻ってきた。エンジンのプラグに高圧電流を送るコードが断線しパワーを出し切れない状態になっていたようだ。





川崎エンジニアが必死の形相で灼熱のエンジンルームに顔ごと身体を突っ込んでいる。その間のドラーバーといえば、蒸せるような暑さのコックピットから降りることもせず、ただただ修理が終わるのを待つ。




 3回にわたる修理でタイムロスは計40分にもなっていた。周回数では20数周くらいか。やっと直りレースに戻った田中選手は、一周でも、一秒でも良いものにしたいとパワー全開でぶっ飛ばしていく。

 
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